ウィキメディア財団

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財団について

ウィキメディア財団(WMF)はアメリカ合衆国で登録された非営利団体で、ウィキペディアウィキニュースそしてこのウェブサイトやMeta-Wikiのようなウィキメディアのプロジェクト群として知られるウェブサイトをホストしています。財団は理事会の統治を受けています。その本拠地 はアメリカ合衆国サンフランシスコ市にあります。財団に関する公式な情報は、財団のウェブサイトwikimediafoundation.orgをご覧ください。

財団理事会の理事

ウィキメディア財団理事会は財団を運営し、寄付の処分と要請を監督しています。理事会はウィキメディア財団, Inc.の最高権威です(ウィキメディア財団付属定款の第4条第1項)。現在の理事の一覧と連絡先情報はウィキメディア財団理事会で見ることができます。

時間の経過と理事会の座席を示す理事会の歴史チャートもご参照ください。

ウィキメディア財団理事会マニュアルは理事会の役割とその職務の概要を説明しています。財団のwikiには過去と今後の会議(議事録を含む)と決議の一覧があります。

組織

議論の場

ウィキメディア財団の統治が続くのは皆さんが以下を使用してくれるおかげです:

  • メタウィキは公共の問題すべての議論と組織のためにあります。このwikiは完全に公開しており、誰もが編集が可能で、多言語です。
  • wikimediafoundation.orgは財団の公式ウェブサイトです。このwikiは完全に公開していますが、コミュニティの信頼されたメンバーのみ編集できます。このウェブサイトに関わるフィードバックはこちらの財団のウィキのフィードバックのページで提供できます。
  • wikimedia-lは公開メーリングリストで、財団とコミュニティがそれぞれのプロジェクトに関連する話題を議論します。
  • internal-lは非公開のメーリングリストでアクセス権は理事と役員に限定しています。
  • private-lは財団の中で技術的な問題を議論するために使われる別の非公開のメーリングリストです。
  • VRTSはウィキメディア財団の職員とボランティアが使って、一般からの電子メールを処理するチケットシステムです。
  • IRCは他のウィキメディアンとリアルタイムでチャットできます。

Channels for support

The Wikimedia Foundation manages the following channels for support:

  • Trust and Safety Meta page provides an introduction into Trust & Safety work, as well as information about programs, policies, and resources.
  • General Trust & Safety inquiries: ca wikimedia.org
  • Threats of imminent physical harm (also supporting human rights crisis response): emergency wikimedia.org
  • Assessment of child protection concerns: legal-reports wikimedia.org
  • Disinformation support inbox for partnering functionaries and local admin teams: drt wikimedia.org
  • Human Rights team Meta page provides an introduction into Human Rights work, as well as information about programs, policies, and resources.
  • General Human Rights inquiries: talktohumanrights wikimedia.org

費用はどのように使われていますか

年次報告月次報告財務報告を参照して下さい。

資金はどのように調達していますか

ウィキメディア財団は資金調達やその他の寄付金で集まった資金を使い、運営と経営管理をしています。詳細については寄付ページをご覧ください。

ウィキメディア提携団体

私たちの運動に貢献する団体の多様性を認識し、理事会はウィキメディア運動について次に述べる提携団体の形式の認可を承認します。提携団体は特定の立場から別の立場に変更する可能性があり、階層よりもまず互いの協力を優先する必要があります。提携関係を開始したい場合、または提携に関する詳細情報をお探しの場合は提携団体委員会にお問い合わせください。

メディア パートナー

運動のパートナーは同様の意識を持った組織で、ウィキメディア運動の活動を積極的に支援します。提携団体一覧は公開されており、ウィキメディアと協力して支持を示すため限定的に商標を宣伝に使うことが許可されます。運動のパートナーはまだウィキメディアによって認可されていません。今後の認可の詳細は提携団体委員会が手配します。

国別・地域別協会

国別または地域別協会はウィキメディア運動を代表する独立した非営利団体であり、地理的に焦点を当てて世界の運動の活動を支援しています。支部または国家あるいは地域の組織はウィキメディアとのつながりが明確な名前を使い、ウィキメティアの商標を活動、宣伝、募金活動に使用することを承認されています。

テーマ別組織

テーマ別団体はウィキメディア運動を代表する独立した非営利団体であり、特定のテーマ、トピック、主題または問題に焦点を当てた国や地域または国境を越えた活動を支援します。テーマ別または焦点を絞った組織では、ウィキメディアとのつながりが明確な名前を使用し、ウィキメディアの商標を活動、宣伝、資金調達に使用することを承認されています。

利用者グループ

利用者グループは簡単に設立できるように設計されたオープンなメンバー制のグループで、連絡担当者を置きプロジェクトの実績があります。利用者グループはウィキメディア財団に属することもしないことも選ぶことができ、財団の商標をイベントやプロジェクトに関連する宣伝のために限定的に使うことができます。

ウィキメディアの調整とプロジェクト

プロジェクト間の調整

ウィキメディア(メタ・ウィキ(このウィキです)は、ウィキメディア財団のプロジェクト群の調整を行います。

メインのウィキメディア・プロジェクト群

プロジェクトの歴史より

歴史

初期のウィキペディアの歴史は混乱の多さとよい意味の奇妙さが特徴とされました。ウィキペディアの統治メーリングリスト参加者の助けを借りてジミー・ウェールズ (Jimbo) が単独で効率よく進めました。

拡大するプロジェクトのより広い権限を考慮した結果、シェルドン・ランプトン (Sheldon Rampton) はwikien-lメーリングリストのメッセージという形で提案しました:

ウィキメディアを作るという最終的な目標のために、私たちはさらに進んでいくべきだと思います。それが「m」の字で始まるメディアの姿だからです。wikiスタイルのルールを適用して、ふつうの人々があらゆる種類のメディア、百科事典やその他の参考資料、最新ニュースや書籍、小説や音楽、ビデオなどの作成と編集に参加できるようにしていきたいのです。既存の放送メディアと同様に、私たちにはそれぞれ独自の視聴者を持って差別化された「チャンネル」と「番組」があります。しかし現在のメディアとは異なり、視聴者は単なる受動的な視聴ではなく、積極的に独自の番組作りに関わっているのです。

「wikimedia.org」というドメイン名はmavが購入して、ウィキペディアと非営利団体のウィキメディアが所有するまで持ってました。

2003年6月20日、自らが経営するBomis社の支援のもとにウィキペディアを運営していたジミー・ウェールズは、ウィキペディアウィクショナリーウィキクオートウィキブックスの母体組織となる非営利団体ウィキメディア財団の創設を発表。その他、同様にフリー・ライセンスを採用するウィキ式プロジェクト群が「ウィキメディアファミリー」に加わりました。ウィキメディアを取上げたウィキペディア記事w:ja:ウィキメディア財団も参照してください。

初代の理事会はジミー・ウェールズ議長、理事のマイケル・デイビスティム・シェルが構成していました。2004年6月、2代目の理事会のメンバーは5名で、ウェールズ(議長)、フローレンス・デヴァード(副議長)、マイケル・デイビス(財務)、ティム・シェルとアンジェラ・ビーズリーでした。 ティムとアンジェラは2006年に理事会を離れ、エリック・メーラー (Erik Möller)、Jan-Bart de Vreede、Kat Walshそしてオスカー・ヴァン・ディレンが任命されました。同年10月、デヴァードがウェールズと交代して理事会議長に就任、ウェールズはその後も名目上の「名誉会長」の役割を保ちます[1][2]。2005年に最初の従業員Danny WoolとBrion Vibberが組織に加わっています。2008年に理事会はコミュニティとの紛争中に再編され、ウェールズには「名誉会長」に加えて創業者の地位 (英語版)が与えられました。

暫定事務長として雇用したスー・ガードナーが2007年の夏、財団の新しい舵を切りました。その時点の職員はおよそ10人で、ほとんどがフロリダ州セントピーターズバーグの本社他、イギリス、ドイツ、オランダで働いていました。2006年1月に設立された委員会のほとんどは、この時点では非活動であり注目されていなかったのです。

財団は2007年、フロリダの事務所から離れることを決めました。サンフランシスコが目的地に選ばれたのです(主要な競争相手はボストン)[3]。フロリダの旧本部は2008年1月31日に閉鎖しました。

財団のサンフランシスコ本部は当初、スティルマン通り39にありました。2009年には1キロ圏内のニュー・モンゴメリ通り149に、2017年に現在の所在地モンゴメリータワー1番地に引っ越しています。

理事会は2008年4月に実質的に再編されました。詳細は以下をご参照ください:

その他のリンク

参考