クリンゴン語版ウィキペディアの歴史
クリンゴン語版ウィキペディアは2004年6月に作られ、2005年8月をもって永久に閉鎖されました。ウィキペディア外ではklingon.wikia.comで編集可能で、今でも加筆され続けています。
作成の決定
クリンゴン語版ウィキペディアは、世界中のさまざまな言語による版が急速に成長していたころに作成されました。当時ウィキペディアの新しい言語版の作成基準があいまいだったこともあり、リクエストから作成が決定するまでにほんの少しのプロセスしかありませんでした。当時はその他の姉妹プロジェクト、ウィキメディア・コモンズやウィキソース(当時はソースバーグ)、ウィキニュースが設立されたころでもあります。
問題点
クリンゴン語版プロジェクトの存在は対立を呼び、他の言語、特にその他の人工言語との公平性、平等性については顕著に論争を引き起こすきっかけとなりました。人工言語は何十種類とありますが、創設の基準をどうするかによっては、その言語版のウィキペディアもまた存在するべきだと強く主張する言語もあります。
メインページやその他の記事からのクリンゴン語版ウィキペディアへのウィキ間リンクの存在も問題の一つでした。ウィキペディアンの中には、これによってプロジェクトの学術的な体裁が損なわれると感じた人もいました。最終的に、クリンゴン語版ウィキペディアが閉鎖される前に、他の言語版からクリンゴン語版へのウィキ間リンクは削除されました。
クリンゴン語が架空の言語であるということは、現実にコミュニティを形成する話者が存在しないということでもあるため、プロジェクトは人々に関心を持たれませんでした。また、クリンゴン語の語彙は閉鎖的かつ不完全で、多くの重要な話題を遠回しにしか議論出来ないということから、記事の執筆には限界がありました。そして、メタウィキ、メーリングリスト、および取締役会で、このプロジェクトの将来に関して継続的な議論が行われました。
閉鎖
2005年8月、ジミー・ウェールズは、クリンゴン語版ウィキペディアを永久に閉鎖すると決定しました。彼は閉鎖の理由を公に述べたことはありませんが、ウィキペディアとその姉妹プロジェクト全体が重要で世界的なウェブサイトに成長したことは、実用的に使用することを意図していない言語でウィキペディアを維持する理由がほとんどないことを意味しました。 トキポナなど他の人工言語版のウィキペディアも、ほぼ同時に閉鎖されました(ただし、トキポナ版ウィキペディアはクリンゴン語版ウィキペディア同様に、最終的にはウィキアで管理され、前者はそれから独自のサイトを設置)。 現在、ウィキペディアが存在する人工言語はエスペラント語、イド語、インターリングア、インターリング(オクツィデンタル)、ロジバン、ヴォラピュク、ノヴィアル、リングア・フランカ・ノバそしてコタヴァです。これらには全て話者が存在し、最初の3つ、特にエスペラント語には、かなりの規模のコミュニティがあります。 エスペラント語話者のウィキメディアンは2012年に至り、ウィキメディア利用者グループのEsperanto kaj Libera Scioを結成しました。
関連項目
- クリンゴン語版ウィクショナリー閉鎖の提案 (2008)
- クリンゴン語版ウィクショナリー創設のリクエスト (2013)
- 人工言語
- ヴォラピュク版ウィキペディア閉鎖の提案 (2007)
- 人工言語版の新しいウィキに対する全リクエスト
- クリンゴン語を話す利用者