Wikimedia Quarto/2/chapter-de/Ja:

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ウィキメディア・ドイツは、たくさんの運営に関わる仕事で忙しくしています。ドイツ支部は非営利団体としての免税措置を獲得することに成功しました。ウィキペディアにおける著作権法と GNU FDL の影響についてしばしば繰り返される疑問を解消するために、ウィキメディア・ドイツではドイツ語版ウィキペディアのための法的問題の FAQ を、オープンソースとオープンコンテントライセンス問題を専門とするドイツの弁護士に発注しました。

9月の終わりに、ウィキメディア・ドイツは、シュトゥットガルト地域経済開発組合 (WRS) とベルリン応用工学大学(FHTW) 教授デボラ・ウェーバー=ヴルフと共同で、ドイツ連邦教育研究省(BMBF)によって開発され資金提供される研究プロジェクトに参加し活動を始めました。プロジェクトは「教育におけるニューメディア」[1]といいます。最終的に2つの申請書が提出されました。選考は2004年一杯まで続けられます。

10月の初め、ウィキメディア・ドイツは欧州安全保障協力機構 (OSCE) と接触しました。OSCE は ワルシャワで OSCE 人間的領域改善会議[2] を主催しました。これにはジミー・ウェールズがシンポジウム「インターネットでのメディアの自由を保障」にパネリストとして出席しウィキペディアについて講演を行ないました。この月の後半にはドイツ支部のメンバーがベルリンで10月22日から23日に行なわれたリナックスのカンファレンス、ベルリナックスにウィキペディアのブースを出し発表を行ないました。ジョン・"マッドドッグ"・ホールがウィキペディアの Tシャツを着ているところを見たという噂が流れています。出版社ブロックハウスとの接触については、会議を数回重ねており、またウィキペディアの CD を出したベルリンの会社ディレクトメディアとの接触も同様です。ウィキペディアCD のリリースはドイツのメディアから幾つかの好意的な批評を受けました。そしてコンピュータ雑誌 Chip の付録として配布されました。ディレクトメディアは現在、春に DVD バージョンのウィキペディアを出す計画を建てており、ライプニッツ書籍見本市に出すブースにともに参加するようウィキメディア・ドイツに提案しています。この見本市のブースはまさにブロックハウスのごく近くにあります。

12月には、ウィキメディア・ドイツはカオス・コンピュータ・クラブが年一回主催するカンファレンス 21C3 に出席しました。ジンボ・ウェールズがウィキペディアについての発表を行ないました。またウィキメディア・ドイツでは、メディアウィキについての会議に出席できるようにと、メディアウィキ・ソフトウェアの主な開発者である二人の開発者、ティム・スターリングとブライアン・ヴィバーを招待しました。

この3ヶ月間、ドイツ語圏の報道では、ウィキペディアについてのたくさんの言及がなされました。ターゲスツァイトゥングはウィキペディアについての記事をのせ、ドイツ最大の雑誌っである『ビルド』では、ウィキペディアの使い方を含む記事が掲載されました。ようやく始まったばかりのドイツ語版ウィキニュースは、それにもかかわらずドイツの報道関係者には非常によく知られています。