愚かな人間になるな
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"愚かな人間になるな"。もし人々がこの規則に従えば、世の中は素晴らしい優秀な人間ばかりという事になるでしょう。 ならば、他の規則は自然に運用され直感的に理解される。優秀な素晴らしい人間は賢いし、規則には従順? でしょうからね。
「愚かな人間にならないようにしましょう。」とは、一部の自分自身は優秀で素晴らしい人間だと思い込んでいる、或いは常にそれを目指して日々努力していると思い込んでいる、傲慢な人間が良く発するメッセージです。傲慢な構成員が多い社会ではそれが汎用的な方針となる。彼らは、愚かさの境界を定義しようと試みているわけです。
ウィキメディアのサーバーには非常に多くの容量がありますが、それでも愚かさの詳細を説明するには不十分です。というか、ウィキメディアでその議論をする意味はあるのでしょうか?
愚かさの本質とは、自分は優秀な凄い人間だが、世の愚か者の為に不幸だと感じる傲慢な人間、が議題として好む話であり、実際にはそれを自己本位に思考して記述すればするほど、その主体が一番愚か者だという結論になるでしょう。
「w:ja:ハンロンの剃刀」という文書もあります。必要に応じて参照してください。
しかし誰が愚か者かと考える事、お前が愚か者だと指摘することほどナンセンスで不毛な事は無いでしょう。愚か者とは何かを考える暇があったら、もっともっと重要な思考のテーマが我々にはあるはずです。